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井上幸一のお話

日本の農業

1920年は日本に住む4人に1人が農家でした
2018年は70人に1人が農家だそうです。

司馬遼太郎さんは
「土地と日本人 対談集 司馬遼太郎」の中で
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ぼくはいわゆる河内の国に住んでいるわけです。
ぼくは中河内ですが、金剛山麓の南河内というところは
大和に似て景色のいいところなんです。
いまから12、13年前(注・この発言時は1975年)までは
そのあたりの丘陵地帯を歩いているだけで実にいい感じのする田園だった。
いまはそこがいちばん悪くなっています。ゴミの山です。
つまり自分の農地をだれかに売ってしまう。
買うのは投機業者で、投機業者でなくて企業家であっても、
土地の値上がり待ちを考えているかぎりは投機業者です。
値上がり待ちで土地を遊ばせておく。ゴミの山になってしまう。
農業にもいろんな問題があると思うんだけれども
とにかくこの国において何をどうする、ということをどう考えてもすべて枝葉です

ぼくの家の近所の百姓というのは、坪40万円ぐらいのところで大根をつくっている。
いつか土地が高い値で売れると思いつつ、退屈しのぎに大根を作っている。
荒廃もいいところです。資本主義社会と合理主義というのは不離のものだけど、
そこには合理主義のカケラもない。これでは資本主義社会では決してありません。
大根1本作るために投じる原価が、大根の値段を決定するわけだが、そういうものもない。
上代以来、人間の精神を支えてきた生産の喜びもない。どうしようもないですね
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まるでオセロのように「農地」がつぎつぎと「住宅・工場」に姿を変えていました。
司馬さんはこのオセロが農家の心を変質させたと嘆いているのです。
目先の利に心を奪われ、
脈々と受け継がれてきた営みから遠ざかる農家は受け入れたくなかったのだとおもいます。

現代はどうでしょうか?
司馬さんが警鐘を鳴らしたオセロが行き詰まってきたと感じています。
最近、ある大手不動産会社の営業マンと話す機会がありました。
かれの会社は農地をもつ地主に営業をかけ、農地にアパートを建ててもらい、
地主と収益を分け合うというビジネスモデルです。
かれにいわすと、人口減少によって肝心のアパートの住人が集まらず
このモデルが成り立たなくなってきているそうです。

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