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会津藩

1、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
2、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
3、虚言を言うことはなりませぬ。
4、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
5、弱い者をいじめてはなりませぬ。
6、戸外で物を食べてはなりませぬ。
7、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。
ならぬことは、ならぬものです
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会津藩の「什の掟」です。
会津藩士の子は6、7歳になると論語の素読や書道を学びました。
同時に「什」と称する10名前後の小グループに属し毎日集まって遊びました。
什長には9歳の者が就き、什長は遊びの前に「什の掟」を読み上げます。
子供たちは一条終わるごとに返事をし、お辞儀をしなくてはなりませんでした。
掟を読み終えた什長は
「昨日より今日まで掟に背いた者はあるか」と問います。
もし違反を告白した者がいた場合、皆の制裁を受けることになるのです。
会津藩士は幼いときから掟を破らぬよう、武士らしく行動する習慣が染みつきました。

そして外から戻った子供たちは
すぐに仏間へ入って切腹の作法を練習したそうです。
「いつ藩から切腹を申しつかっても、見事に果たせるように」
との考えからです。
幕末の戊辰戦争の際、白虎隊の少年20名が、
戦闘により市中が火に包まれる様を目にし自刃したのはこの作法からきています。

先日紹介した「薩摩の郷中」で重視されたのも知識の修得ではありませんでした。
仲間の団結、長幼順の遵守、武芸の上達、命を捨てる覚悟、そして人間としての潔さでした。

黒船艦隊を率いて浦賀に来航したペリー提督は、
幕府に強く開国を求め、ついに翌嘉永七年(1854)に
日米和親条約を締結して日本を強引に開国させました。
このときペリーは幕府に
電信機や武器、そして蒸気機関車の模型などを贈っています。
当時の武士たちは西洋文化に驚きましたがそれによって意気消沈していません。

幕府がペリーの蒸気機関車をプレゼントされてからたった一年後、
佐賀藩が独力で蒸気機関車の模型を完成させました。実物の蒸気船も造っています。
短期間で西洋の技術を模倣できるだけの技術力を、持っていたのです。

こうした知的水準の高さについてはペリーたちも認識し
「もし日本が開国して国際社会に参加したら、アメリカの強力な競争者になるだろう」
と述べています。
日本人、とくに武士たちの教育程度が極めて高かったのです。

中央集権が基本の江戸幕府ですが各藩の教育には口を挟まなかったようです。
ですから藩によって教育の方針や内容は大きく異なり、藩独自の士風というものが確立され
近代になってからも県民性として反映されています。

現代は文科省が教育全体を担っています。
現在は文科省の学習指導要領で学ぶ教科や内容を細かく決めています。
地理歴史科では世界史が必修で、日本史は選択科目となっていて
高校生の半数近くが日本の通史を学ぶことなく卒業しているのです。
教育の主導権は都道府県で
江戸時代のように各県が独自性をもってもいいのではないかと思います。

建築もそうです。
各地で地域に合った「建築が有ってもいい」と私は思います。
「教育」も「建築」も中途半端なような感じがします。
地域活性化が言われる時代です。
地域に合ったの教育課程・建築基準をつくり
江戸時代のようなユニークな県民・地域を育成する・・・
そんな時代も有りだと私は思います。

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