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薩摩藩

薩摩藩がなぜ明治維新が達成出来たのか?
調べて見ました。

薩摩藩は
鎌倉時代から続く名門・島津家でした。
始祖の島津忠久は鎌倉幕府・初代将軍源頼朝の子で
江戸300藩の中でも飛び抜けた名門でした。

島津家は関ヶ原の戦いでは敵側の西軍に属し負けましたが
徳川家に屈しなかったという「誇り」がありました。
徳川家康は島津征伐を検討しましたが断念し
最終的には西軍でありながら取り潰されず
所領が安堵されるという特別待遇を受け
薩摩武士には「徳川とはあくまで対等の関係」という考えが残りました。

江戸時代の日本には士農工商という身分制度があり、
兵農分離で武士層と農民層が明確に分かれていました。
武士層は人口全体の7〜10%でしたが
対して薩摩藩の武士階級は
人口比にして何と30%近く「徳川とは対等」という独立意識があり
「何が何でも領土を守る」という意識が強かったのです。
(武士が多かったので武士の貧乏も多かったのです)

武士であることを誇りに思い
武士としての自覚から日々の鍛錬も欠かさず
剣術修行にも熱心で、藩主に対する忠誠心も厚かった藩でした。
平和が続いたことで軟弱化した他藩の武士とは対照的だったのです。

薩摩藩には人材育成をする
「郷中教育」という薩摩藩独自の教育システムがありました。

「稚児」と呼ばれる6~15歳ぐらいまでの少年たちが集まり
「二才」という15〜24歳の年長武士が教えます。
先輩が後輩を教育する仕組みです。
誰から学ぶかは子供たちの自由で、決まった学び場もなく
子供たちは早朝に好きな先生の家を訪ね、儒学や書道などを学びます。
川遊びや相撲、武芸などにも励み、身体を鍛えます。
学んだ後は子供たちだけで集まり
車座になって、その日学んだことをひとりずつ口頭で発表します。
これによって知識が共有されていきました。
郷中で一緒に過ごす時間が長いので、
同じ郷中で育った者の絆は深くなっていきました。
その一方で、年長者に従う意識も強くなりました。
これが教育が実践的な力につながり
決断力や実行力・判断力が身についたようです。

長州藩は
理想に向かって直進する傾向が強かったようですが
薩摩藩は
策を巡らしギリギリまで幕府とは表立っては対立せず、
その内に入って影響力を強める勝てるまで我慢をしています。
現実的な行動原理が強かったのです。

着実に力をつけながら
薩長同盟の締結により倒幕へと動きだしています。
理想に直進した長州藩、現実的な行動原理の薩摩藩と言えます。

薩摩隼人といえば
「チェスト!」の掛け声で勇猛果敢に挑むイメージですが
現実的で冷静でした。理想だけを追う組織は危ういです(よくあります)

地に足をつけた時間を掛けて「社会を動かす=市場創造」する。
「西郷どん」は深く学びにもなります。

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